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2009年7月 5日

祖父・福蔵

祖父・中山福蔵と泰秀

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自らを「大自然主義者」と言っていた祖父・福蔵

福蔵が言っていた言葉の内で2つ、父から聞き伝わっているものがあるのですが、1つは「世界の将来はアフリカが決する。」もう1つが「大自然を大切にせよ。そうでないと、やがて人間は自然からしっぺ返しを食らうぞ。」というもの。人間が自然を裏切ると、自然は必ず人間にしっぺ返しを食らわす、と言っていたんです。自らを「大自然主義者」と言っていて、戒名の中にも「盡政院釋自然」という文字が入っているくらいで、自然に対する思いが強かった祖父だったのです。 戦前いろんなことがありましたが、結局「エコ」なんて当時訴えても、今よりも環境が数倍いいと感じられていた時代でしたから"なに言ってんだ"と言うことだったのかも知れませんが、なかなか現在のように自然環境に対する「ピン!と来る」思いの人々が少なかったと想像します。しかし、戦前3期衆議院で活躍できたのも大阪の有権者が政策に敏感である、先見性があるという証左だと思います。  戦前昭和15年2月2日、兵庫県豊岡の代議士 斎藤隆夫という人が「聖戦の美名に隠れて」と軍部を批判し、反軍演説をしました。東条陸軍大臣当時です。その反軍演説をした結果、斎藤氏は除名処分の決定がなされるわけです。ちなみに今でも、衆議院の決まりで3分の2の賛成があれば1人の国会議員の議席を奪うことができるんです。その反軍演説をして3月7日ついに除名処分になったのです。 祖父・福蔵は、斎藤 実内閣時代、私も小泉内閣時代議事進行係を務めました。(議長~!っていうやつです。)ちなみに父正暉は田中角栄内閣時代と親子3代議事進行係を務めている例は、憲政史上初であります。斎藤隆夫除名に際して祖父福蔵は弁護士で法曹界にいることから、被告人の刑が確定しても、刑を執行するまでに猶予期間をおくべきではないか。内閣の方針に異論の演説をしたからと言えども、短期間のうちに除名をすることに対し反対を述べたところ、祖父・福蔵までが東条首相からと国会の廊下で腕を掴まれ、いやみを言われたことがありました。祖父は大政翼賛会からはずされ、戦時下の選挙で非推薦になり、昭和3年に治安維持法に伴う緊急勅令公布により設置された特別高等警察等の政治的弾圧・嫌がらせを受けたそうです。祖父の法律家としての正義感からの発想が東条内閣に曲解されることになった。 選挙の時は先述したように、当時の特別警察などいろいろなところから迫害を受けながら、波瀾万丈の選挙を戦ったんです。選挙が終わった日に「宛所に尋ね人なし」なんていって推薦はがきも全部荒縄でくくって送り返されてくる。そんな状態で「落選」を東条英機内閣に味わわされるということがありました。そんな苦労をしながらも、祖父・福蔵は後に参議院に返り咲いて、再び議員を務めさせて頂いたり、日本人としてトルコ共和国初の名誉総領事を務めあげさせて頂きました。これも戦後の大阪の有権者による深いご理解の賜物であります。本当に感謝であります。 中山マサも波瀾万丈な生き方をしましたが、まさに激動の人生を歩んだ2人が出会い、4人の子どもができました。

福蔵・マサとともに

「くにこ」おばさん(私からみるとおばにあたる)という末の娘が、父の兄弟にはいたんですが、戦前3歳の時に亡くなっています。実際、兄弟4人ということです。四男坊が父・中山正暉で、竹下内閣で郵政大臣として初入閣させて頂き、その後、総務庁長官、建設大臣、国土庁長官を歴任させて頂きました。親父も今年は77歳ですが、当時、「いつまでも若い人たちに迷惑をかけたくない」と潔く勇退しました。『若い人たちに政治をしっかりと、新陳代謝をするべきだ』というのがうちの父の意見でした。